この目で・・・大船渡・陸前高田

25日に大船渡に行ってきた。
昨年、造園工事をした方の所だ。(パカ子は造園関係の勤めもしているもので・・・)
お宅は大船渡市内から車で20分弱、綾里湾の近くである。
三陸道を大船渡で降りて市内に入ってすぐは津波の被害も見えなかったのだが、湾岸を走る道路に出たとたんに光景が一変した。
道路沿いの家屋はほとんど壊滅状態。
赤崎中学校の校庭は瓦礫の山がそびえ立っている。

綾里の町は商店商などのある中心部はもう何もなかった。
綾里の町の方角を見る。
真ん中の家がポツンと残っているだけ。
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訪ねたお宅は高台ですぐ裏手まで津波が入ってきていたが難をのがれていた。
ここは海などまったく見えない地点である。しかし津波は小さな水路に導かれるように陸の奥まで流れてきていた。
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綾里の町の入り口には町を守るはずだった堤防と水門があった、でも守れなかったのだ。
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帰路、陸前高田の町を通った。
三陸道を降りて、下り道。
以前は賑やかな町が見えてくる地点であるが、いくつかの建物があるだけ。
荒涼とした平地が広がっていた。

4階建てのマンションが残っていたがそばで見ると4回の窓も壊れていた。
津波が押し寄せて来た時まさしくその高さまでが海だった、と想像できますか?
ここに居た人々はどうなさったのだろうか。
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高田の南端を流れる気仙川を津波は5~6km遡っていた。
堤防の向うが川。
川から溢れてあたり一面海となったのだ。
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川の上流から海の方を見る。
以前は建物があって見渡せる場所ではなかったが、何もなくなって海まで見通せるようになってしまった。
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今、海を平地を隔てているのはほんの1mほどの石を積み上げた土手だけである。
かつて町を守っていた堤防も松林もなにも、ない。
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無残な姿で残っている建物。
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気仙川沿いを鉄道が走っていたが、線路も流され、駅舎もこれしか残っていない。
‘竹駒駅’
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しかし、あちこちで重機が動きトラックが走り、気の遠くなるような撤去作業が続けられていた。
そして電気を引く為に新しく建てられた電柱には必死の作業をする方たちがいた。
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各地からの応援の人々が様々な仕事をしてくださっている。
本当に日本中の人々の力を頂いていることを感じる。
スーパーの‘営業再開予定地’の看板もあった。
困難に立ち向かっていく人々の力強さも感じた。
時間はかかってもきっと復活する、と信じられた。

海は静かで綺麗だった。
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この記事へのコメント

のらじ
2011年05月28日 08:47
大船渡は
最大30メートル以上の
津波がきた場所ですね。

私はマンションの3階に
住んでいます。

1階は論外、
2階もなんとなく心配、
3階ならギリギリOK。

東京に住んでいて
なんの心配だか論理的には
説明できないんですけど。

でも、30メートル超の
津波だなんて…
3階でも水面は
見えないほど上にありますね。

災害パニックCG映画が
ほんとうに現実になったのだと
日に日に実感を深めています。

1000年に1度、
しかも史上最大の災害に
遭遇した世代として
いったい何をすべきなのか…

手さぐりで1つ1つコツコツ
いまはそれだけです。

人間も、、、
動物も、、、

合掌するのみ
涙がとまりません。
あけなみ
2011年05月28日 10:28
最後の写真にある穏やかな青い海が起こした仕業とは思えない風景です この対照が鮮やかすぎて人間の想像を超えていたのかもしれませんねー
おかう~ま。
2011年05月28日 14:24
去年、遠野スポーツ流鏑馬大会を
見た後この陸前高田に下って行きました
道の駅に降りると涼しい海風が吹いていて
気持ちのよい夏の日が思い出されます。
時間がなくて松原・白浜まで見れなかった
のが心残りでした。今回の震災で思う事は
やりたいと思ったら即アクション!です。

パカ子
2011年05月28日 22:44
おかう~ま。さん、私も実は高田松原の海岸を見たことがないのです。高田の町を走っても海が見える所はなかったですよね。それだけ海と町の高さがほぼ同じくらいだったと言う事。それが今回のような惨事に繋がったのでしょう。 道の駅の野外ステージだけが残っていました。いつか道の駅から松原へ歩いていてみよう、と思っていましたが叶わぬ夢となりました。


あけなみさん、本当に人の想像を超えた出来事です。人の築いたものをいとも簡単に壊していきました。今度はどのような町を作って自然と向き合っていけばいいのか、大きな宿題です。


のらじさん、この目で見ても想像できない状況でした。そして人が住み働いていた町の痕跡がほとんどない事がショックでした。
ここにあったお店、風景、思い出し涙して車を走らせました。
本当に何ができるのか考えて小さなことからでも実行していかなくてはならないと思います。
機械小僧
2011年05月29日 00:16
大船渡、高田、に行きましたか↓凄かったでしょう?私もバイク仲間の関係で行きました。結果は、残念な結果でした。津波の力は、凄い物ですよね。同じ県内ですが、あまりにも被害の大小がありすぎ申し訳無い気持ちになりました。高田は年に1回は、行ってたので、見慣れた光景があのような姿に…。言葉になりませんでしたね↓
パカ子
2011年05月29日 22:25
機械小僧さん、被災地でも津波が来た所と少しの差で来なかった所では天国と地獄の差がありますね。2ヶ月半たってあの状態です。
震災当時はどれほど凄い状況だったか・・・
でも少しずつ動き始めている、人のエネルギーも負けないぞ!

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