ドサンコのポコ

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先日古い家を片付けに行ったのです。
お宝は何か残っていないかなあ~?
なんにも見つからなかったのですが、額に入ったこんな写真を見つけました。

ポコという名前のドサンコです。
ポコ夫(あれ!同じ名前だった!)の両親は戦後開拓で入植して乳牛の牧場を営んでいました。
当時は開墾するのも農馬を使って田畑を切り開き耕したそうです。
そして運搬の手段として丈夫で働きもののドサンコを手に入れて牛乳運搬や、後には幼稚園の送迎馬車も頼まれてしたそうです。
そのドサンコ、ポコの写真です。

昭和27年生まれです。
写真は昭和48年8月に写す、となっていますのですでに21歳。
ポコ夫とほぼ同じ年の生まれの馬ですが馬としては高齢になってきています。
その後、トラックが普及し我が家でも使うようにもなり、馬は使役を引退し1年ぐらいは家族として過ごしていましたが、昭和50年、欲しいという方がいたので離した、ということです。
(病院通いに馬に乗って行きたいというお爺さんに引き取られたとか)

昭和40年代までまだ、こういった馬が田舎では運搬や農耕に使われていたのですね。

血統書も一緒に飾られていました。
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日高で生まれたドサンコです。
今、我が家にいるドサンコのギンガよりは少し大きいように思いますが似ていますね。

このドサンコのポコは働きものの頭のよい馬だったそうで、牛乳運搬に行った帰り道、どうも一杯が2杯、3杯となってしまう酒好きの義父を置いて、1人で馬車を引いて家まで帰ってきた、ということがたびたびあったようです。

日本の在来馬は北海道のドサンコ、長野県の木曽馬、愛媛県の野間馬、長崎県の対州馬、宮崎県の御崎馬、鹿児島県のトカラ馬、沖縄のトカラ馬、与名那国馬がいます。
どれも機械や車の無い時代に農耕や運搬に、と人とともに働いてきた馬たちです。
彼らも時代の流れとともにその仕事がなくなり生きていくすべがなくなってしまいました。

木曽馬も一時は絶滅の危機に瀕していましたが保存会ができ長野県の天然記念物にも指定され現在は木曽馬牧場などで200頭ぐらいまで増えているようです。
トースケさんのブログで、そんな木曽馬が紹介されていましたよ。)

利益や効率重視の経済のしくみと、機械化、電子化で仕事を失っている現代社会の人間。
在来馬のようにリストラされて絶滅?
そんなことにならないように、考えていかなければなりませんね。

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この記事へのコメント

トースケ
2009年11月08日 21:53
紹介ありがとうございました.
馬車で通園とか通院とか、そういう光景は見たことありませんが、昭和40年代というと、まだ「ちょっと昔」というイメージがあります。
でも町はもちろん、田舎でも馬が活躍していた光景は見たことありません。

馬の血統書というのを初めて見ました。産駒証明書というのですね。
パカ子
2009年11月09日 21:33
トースケさん、20~30年代生まれの人間には昭和40年代はちょっと昔、なんですよね。でも平成生まれの子供たちにとってはもう大昔。想像がつかない世界です。
大阪でも40年代には材木を引く馬の姿を見た記憶があります。珍しいのできっと記憶に残っているのでしょうね。ロバのパン屋もありました。たぶんロバでなくてドサンコみたいな馬だったような気がします。すぐに車に変わりましたが。
とばちゃん
2009年11月11日 09:38
大阪府民牧場には2頭の御崎馬がいました。
馬の歴史は人間の歴史でもある訳ですが、昔の馬力から現在では競馬、観光、乗馬、癒し・・・と変遷してきました。良い仲間でありたいですね。
パカ子
2009年11月11日 18:28
とばちゃん、御崎馬、たしか以前ブログで紹介されていましたね。私は宮崎で見ました。(新婚旅行でした)
今娘が馬車のことをいろいろ調査していますが、けっこう各地に観光馬車があるようですね。また娘の関わっている地域のように新たに馬車を運行してみようと計画している所もあるようです。
人との良き仲間としてずっと生きていってほしいです。

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