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1月9日はパカ子にとって2つの意味深い日です。 1つは父の誕生日であるということ。 今日で83歳となります。 私が大阪から岩手に嫁ぐことになった、その結婚式の時、両家挨拶の後、「おおマキバは緑」を突然歌いだした父でした。小さな牧場へ嫁ぐ娘へのエールだったのでしょう。 その一年後初めての出産の時のことです。 夜中からの陣痛を朝まで我慢して病院へ行きましたが周期的な陣痛はあるものの弱く、そのまま入院し、不安なまま夜になりました。 そんな時病院へ実家からの電話。 その時、父が言った言葉は、もう詳細は忘れたけれど こういうことでした。 「みんな誰でも女の人は子供を産んでいるんだからだいじょうぶ、がんばりや・・・」 その言葉に そうか、太古から女の人が乗り越えてきている事を自分も出来ないはずは無い。 そう勇気づけられたのでした。 そして翌日、始めの陣痛から36時間後何とか無事長男を出産したのでした。 若い頃から絵を描くのが好きで今も毎日のようにキャンバスに向かっているらしい。 パカ子が小さい時にはモデルにさせられた記憶があります。 自由に絵がかける時間もでき、今はグループ展に向けて意欲を燃やしているようです。 これからも好きなことを続けて元気の源にして欲しいと願っています。 父作の馬の絵です。 2つ目の1月9日は (パカ子の記憶違いでなければ、)馬術部のY先輩の命日だということです。 Y先輩はパカ子が1年生で入部した時4年生で副将でした。 みんなの信望が厚く、頼れる兄貴のような先輩でした。 卒業後もみんなで新婚の先輩宅にお邪魔したり、獣医院を開業なさっていたので犬の治療をお願いしたこともありました。 秀浪が馬術部を引退し引取らないか?という話があった時、真っ先に相談したのがY先輩でした。 牧場といっても小さな家内だけでやっている牧場、嫁の立場で馬を一頭養っていくことを頼むことは難しいと思えました。また、何かあった時一人で対処するのは心配だったのです。 「よっしゃなんとかするから、まかしとき!」 事情を話すと電話からY先輩の心強い言葉が返ってきました。 そして「秀浪会」のメンバーを集めてくださり、援助してくださることになりました。 そんなY先輩が突然の病気で倒れられたと聞いたのは平成8年の暮のこと。 みんなの願いもむなしく、正月が明けたこの日帰らぬ人となってしまったのでした。 3人の娘さんと最愛の奥様を残して・・・ その後も奥様は先輩の意思を継いで秀浪会をお世話いただいたのでした。 ポコ夫が怪我に倒れた時も、大変な応援とご配慮をいただきました。 今でも暮にはクリスマスプレゼントとも御歳暮ともつかぬ贈り物を双方でやり取りしています。 しかし、いつもプレゼントを選びながら、この暮やお正月の時期は奥様にとって辛い時期なのではないかなあと切ない思いでいます。 今では子供さんたちも巣立っていかれ、奥様も少しゆっくりした時間ももてるようになられたようです。本当にご苦労だったと思います。 また、時間がとれれば岩手にもゆっくり遊びにきてくださいね。 そんな人生と感謝と様々考える1月9日です。 |
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ほんとに素敵な油絵ですね。なんだか、呼吸をしているかのように感じます。いつまでも見ていたい絵ですね〜。 |
80yukiko 2008/01/16 00:52 |
80Yukikoさん、ありがとうございます。 |
パカ子 2008/01/16 19:01 |
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